「サンフレッチェの母」をしのんで。突然この世を去った、あるスタッフの話。(中野和也)#sanfrecce

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

監督室にて2

澤山さんの場合、気がつけば仕事が回り始めている。移籍が決まれば、何も言わなくても彼女が様々なことを手配してくれる。住居の選択、引っ越しの手続きはもちろん、新加入選手の家族とも連絡をとりあって様々な要望を引き受けながら、少しでも新しい生活になじめるような気遣いを忘れない。

特に海外からやってきた選手や指導者、その家族にとって、元日本航空のCAで英語が堪能な澤山さんは、心強い「日本の母」だった。子供たちの世話や小学校への転校手続き、不動産会社との折衝など、細々とした煩雑な事務手続きを全て彼女が行なった。選手の家族が母国から来日すると、新幹線の乗り換え方を細々と教えたり、時には関西国際空港まで迎えに行ったり。それはクラブからの指示ではなく、「そうしてあげた方が、相手は喜んでくれるから」という思いやりから生まれた行動だった。

その気遣いは海外の選手たちだけでなく、広島に移籍してきた日本人選手に対しても同様だった。広島での生活で何かトラブルが起きたり、困ったことがあると、彼らはまず澤山さんに連絡する。オフであっても、深夜であっても、選手やその家族から連絡があると、彼女はとるものをとりあえず、彼らの元に走った。

「母の仕事は24時間態勢でした。普通の人なら、そこまでやらないよってことまで、母は気になるとやってしまうんです。選手だけでなく、スタッフもそうですね。海外に行く時のビザの取得やチケットの手配、広島に移籍してきた選手・スタッフの家探し。外国人選手のために、入国管理局には何度も通っていました。無理なことも言ってこられたようですが、それでも何とかしてあげたいって(笑)」

澤山さんの娘で、一生懸命な母の姿を近くでずっと見てきた遠藤絵美さんは苦笑する。

「母はズルすることがきらいだし、ダメなものはダメって言うタイプ。もっと楽に生きる方法もあるのよって言っていたんだけど、それはできない人でした」

プロサッカー選手とはわがままだ。全員とは言わないし例外もいるが、多くの場合は自己主張が激しい。なかなかのヤンチャぶりを発揮することも少なくないし、決して簡単に御せる輩たちではない。

たとえば2001年のデビューから2年間、広島に在籍した闘莉王(名古屋)は、なかなかの強者だった。「確かに、とんがっていましたね(笑)」と絵美さんも思い出して苦笑する。ルーキーの時から「俺が試合に出られないのはおかしい」という空気を醸しだし、先輩とか年齢とか関係なく想いを吐きだした。一方で寂しがり屋であり、純粋すぎる心を持っていたナイーブな青年。ブラジルから成功したい一心で日本にやってきた闘莉王を心配し、広島のブラジル料理店につれていって彼の話を聞いてあげていたのも、澤山さんだった。おそらく、誰かの指示を受けていたわけではあるまい。彼女の判断で、そうした方がいいと思ったから、動いたのだろう。

「厳しい人でしたね。本当によく、怒られた」

澤山さんのことを語る時、闘莉王の瞳の奥が揺れていた。

「もちろん、自分のことを思って言ってくれているのは、わかっていた。だから厳しさは僕にとっては嬉しさにつながった。仕事に対する気持ちの入れ方。まわりに対する礼儀の大切さ。そういうことを全て、僕は澤山さんに教えてもらいしました。澤山さんがいたから、僕はローマ字の「TULIO」から漢字の「闘莉王」になれたと思っています。

だからこそ、澤山さんの訃報を聞いた時、僕は本当に悲しかった。何をおいても駆けつけたかったのに、キャンプ中だったからそれもできず。本当に悔しかったし、残念だった。澤山さんを失ったことは、広島だけでなく世の中の損失ですよ。実際、今の広島の若手を見ても、本当にしっかりしている。それはきっと、澤山さんがおられたからなんですよ。僕はそう確信していますね」

チームを離れた後も交流を続けていたのは、闘莉王だけではない。移籍していったほとんどの選手たちの動向を気にして、励ましのメールを送り続けた。その何気ない行動に励まされ、厳しい現状を克服しようと前を向く。山形や福岡、徳島で活躍した宮崎光平は、結婚式に澤山さんを招待し「式場で一緒に歩いてほしい」と依頼したという。

彼女は、「心で仕事をする人でした」という織田秀和現社長の言葉が、ピッタリと当てはまるプロフェッショナル。そういう人でなければ、葬儀場に日本全国のJクラブやサッカー関係者などからの花が山のように届けられ、会場におさまりきれなくなったという事態が起きるはずもない。

「正義感の強い人でしたから、僕もよく怒られました(苦笑)。でもだからこそ、澤山さんがそばにいてくれたことがありがたかった。澤山さんがいるから、みんなが安心して仕事ができていたんです。それは、数字で量れるものではない」(織田社長)

1 2 3 4 5
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

IMG_5631

【徹底分析】天皇杯決勝であらわになった浦和の課題。JチームがFCバルセロナに勝つ道筋を探る スペイン在住コーチ・堀江哲弘

2016.01.08

スポーツマーケティングナレッジ編集部の澤山です。新年1発目の更新は、やや遅まきながら第95回天皇杯決勝(2016年1月1日開催)について。スペイン在住コ...