「サンフレッチェの母」をしのんで。突然この世を去った、あるスタッフの話。(中野和也)#sanfrecce

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昨年のゼロックス・スーパーカップは、チームにとって、選手たちにとって、澤山さんへの追悼を込めた戦いだった。選手たちの方から「喪章をつけさせてほしい」と申し出、クラブも了承。野津田岳人の先制点が決まった後、選手全員で天に向かって喪章を差し上げた。試合後、遺族の方々をピッチ中央に招き、共に優勝への賛歌を歌い上げた。髙萩洋次郎(現ソウル)は優勝メダルをそっと遺影にかけ、ユース時代から面倒をかけた恩人と共に、ウイニングウオークに向かった。

さらにミハイロ・ペトロヴィッチ現浦和監督は、昨年の広島戦後の記者会見の冒頭を、こんな言葉から始めている。

「今年は一つだけ、残念なことがあった。私だけでなく、私の家族にとっても。それは、私が来日してからずっと家族共々、非常にお世話になった女性が、今はもう、いないことだ。その方は、私が浦和に移籍した後も日々連絡をよこしてくれて、私と家族を心配してくれた。
私は、澤山文枝さんのご冥福をお祈りするほかはない。サンフレッチェ広島で長きにわたって貢献されてきた彼女と、彼女の家族に……、心からの…………、お悔やみを申し上げたい」

涙を瞳いっぱいに浮かべながら、精一杯のお悔やみを故人に捧げる。訳しながら自身も絶句してしまった杉浦大輔コーチの肩を、ミシャは優しく撫でていた。
おそらく、会見場にいた人たちの多くは、彼らの涙の意味を知らなかったはずである。彼女のプロとしての、そして人間としての仕事ぶりは、外側には出てこない。「私は黒子でいいのよ。選手たちをどんどん取り上げてください」と前に出ることを、彼女は嫌った。だが、澤山さんの心を込めた仕事ぶりが、人間としての生き様が、たくさんの人々の胸に突き刺さっていたことも、疑いようのない事実である。

人間の価値は、生きている時は量れない。いなくなった時に初めて、その重さがわかる。人間が人間を知るということはなんと難しく、運命はなんと皮肉なことだろう。澤山文枝という一人の女性の偉大さは、お亡くなりになってから多くの人々が再認識することとなった。本当は、もっと前に知らねばならなかったのに。理解しなければならなかったのに。認識する必要があったのに。感謝の気持ちを、彼女の心に伝えたかったのに。

2015年12月5日、サンフレッチェ広島はチャンピオンシップに優勝する。インタビューを受けるのは、青山敏弘だ。

「天国の澤山さんに、やっといい報告ができた」

1年以上たっても、みんな澤山さんと共に、戦っていた。まるで母親のような、無尽蔵の慈しみと厳しさを与えてくれた恩人と共に、シャーレを夜空に掲げたいと願っていた。

ただ、その夢がかなっても、澤山文枝さんは戻ってきてくれない。心にあいた隙間は、埋めることができない。
その喪失感も飲み込みながら、僕たちは前を向く。日々の生活の中で、それぞれの世界で戦いを続けながら、歩き続けなければならない。それがこの世で生きている者の定めだ。
ただ、人間はそれほど頑張り続けられるものではない。疲れてしまう。投げ出したくなる。息も詰まってしまう。

「忙しいこともよくわかるけれど、休むことも大事なんだからね。脂モノも控えて、野菜もとった方がいいわよ。ちゃんと運動してる?」
はい。わかりました、澤山さん。
でも、もう少し、頑張ります。頑張らせてください。
僕よりもはるかに頑張っていた澤山さんに、少しでも追いつきたいのです。

<了>

中野和也(なかの・かずや)
1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。

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